うつつのうつろ
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朝青龍が引退したね。引退させられたというべきか。貴乃花の立候補、当選〈騒ぎ〉で、相撲界のグロテスクさは広く世間に知れ渡ることになったけど朝青龍がやめることになった一番の理由は、その相撲界のグロテスクさのせいというよりも、もっとやばいアレコレが関係してるらしいね。ホントかどうか知らないけど。しかし、朝青龍はともかく、白鵬が泣いてたのには、こっちもウルっとなったよ。

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PS3版のバットマン(アーカム・アサイラム)のストーリーモードを一応クリアした。もちろんノーマルモード。近年やったこの手のゲームの中でいえば、アクション関係が割合簡単で、思う存分バットマンの格闘の強さを堪能できた。作る方もそういうつもりで、アクションを簡単目にしておいたんだろう。戦ってる最中にちゃんと攻略のヒントまで出るのにはオドロイタ。格闘もタノシイが、
バットマンになりきって立体的に動き回り、敵を翻弄するのが更にタノシイ。リドラーの謎も、チャレンジモードもまだ随分残ってるから、しばらくやり続けるだろう。

2010年2月4日木曜日

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ルパン三世は、原作よりアニメ1stシーズンの方が好きだ。今日、原作を読み返していてあらためてそう思ったよ。原作とアニメで目指しているところがこれほど違うのも珍しい。

2010年2月5日金曜日


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「GOEMON」を観た。
端からみると主要な登場人物の全員が〈マチガッテイル〉と思えたのが前作の「CASSHARN」。だが、その、本人はタダシイと思っているのに端から見ると完全に〈マチガッテイル〉ことが〈人間らしさ〉のあらわれで、どの登場人物にも感情移入が出来た。今回の〈GOEMON〉はまったくその逆。五右衛門から秀吉まで、主要な登場人物は全員、自分が〈マチガッテイル、マチガッテシマッタ〉ことに自覚的。人間は神でもなんでもないから、誰でも〈マチガウ〉。だから、自分の〈マチガイ〉を自覚できれば、それだけでもう〈マチガッテイナイ〉場所に立つ。〈タダシイ〉とは言わないが〈ワカッテ〉いることになる。「GOEMON」の主要登場人物は全員「ワカッテ」いる。そこがこの物語のツマラナサ。主要登場人物が全員について「本当は悪い人なんかじゃないのよね」と言ってもらいたがっている。

歴史上の人物を登場させたのと、歴史学的な「事実」の足かせがはずせてないので、物語が自由度を失っているのもイタダケナイ。前作は、原作の展開も設定もほぼナカッタものとして、自由に物語りを語ったおかげでモチーフが際だっていた。今作は、詰め込みすぎている。物語は〈早口〉で語られ、表層的。見た目の奇抜さとはウラハラに随分オーソドックスな戦国時代劇。

2010年2月6日土曜日

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かつてアナトーは言った。

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久米宏がニュースステーションを辞めると聞いた時、「きっと、歳食ったせいで、気の利いたコメントがパッと出せなくなったからだろう」と思ったら、本人が記者会見で本当にそんなことを言ってた。久米宏がニュースステーションを「辞めようかなあ」と思った理由はこれだけでいいと俺は思う。充分説明になってると思った。運動選手が引退を考えるきっかけと同じだ。フツーに出来てたはずのモノが出来ていないと感じたとき、人は潮時を悟るんだろな。

で、これは、これでいい。俺が面白いと思ったのは、その久米宏の番組降板の理由を聞いて、デイブ・スペクター(いつもシャワー出たて)が、理由が曖昧すぎるとコメントしていたことだ。具体的なことを言っていないといって否定的だった。俺なんか、「どこが? 充分、具体的やン」って思ったけど、その後のデイブ・スペクターの話を聞いていて、ああ、なるほどなと思った。

なるほどってのは、デイブ・スペクターのコメントに納得したんじゃなくて、デイブ・スペクターがこういうコメントを出す理由に合点がいったってこと。デイブ・スペクターの中では、長年一つの番組に携わってきた人気キャスターのようなものが、突然降板してしまうときには、かならず、テレビ局と出演者との間でなんらかの不和があったからに違いないんだ。タレントのゴシップネタの処理に「頭」が慣れすぎてしまっているから、ナンデモカンデモそういうふうな道を付けてもらわないと「納得」出来なくなってしまっているんだ。久米宏が番組を降板するのは、テレビ局とのイザコザがあったからなのに、久米宏は記者会見でそのことを話してない。だから「具体的」なことは何も言ってない。デイブ・スペクター(いつ見ても、シャワー浴びたばっかり)にとっては、そういうことになるんだ。

でも、こういうことって、なにもデイブ・スペクターに限ったことじゃないよな。小泉さん(総理大臣)の「政治家らしからぬ」発言に、目を白黒させて、訳の分からん「解釈」を展開する政治担当の解説員や記者たちも同じ。こういう連中は、言ってみれば、政治家以上に「政治家頭」になってしまっているから、フツーの「見え方」が出来なくなってる。だから、小泉さんが、どうしてフツーの人たちに、いまだに人気があるかもホントは分からない。こう言うのって、コドモの何気ない発言に、顔を赤らめてドギマギするバカなオトナってのに似てる。バカなオトナは自分で勝手に抱え込んだクダラネーモノのせいで、コドモがただそのままを言ってるその「発言」を、まったく別モノに「解釈」して、勝手にオドオドしたり、怒ったりする。

ふふふ…。

汝、目の塵を払え、だよ。(て、これ、誰の言葉だっけ?)

(毎日残業で、まあ、大変ですよ。ええ)

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このテキストの日付データが消えてしまっているから具体的に何年に書いたものかは分からないが、ニュースステーションが終了する年だから、ずいぶん古いものだということは分かる。批判する者が知らず知らずのうちに、批判する対象と同じ枠の中に取り込まれてしまっていると、批判は、本当の批判ではなく、批判する対象を再生させる独自の「世界」を維持するためのエネルギーの循環作用にしかならない。そうすると、世界は、善玉と悪玉が繰り広げる茶番劇となり、俺たちはますますうんざりげんなりする。

2010年1月25日
【どうした白鵬】

白鵬。昨日の日馬富士はともかく、得意の魁皇に負けるとは、重症だね。それにひきかえ朝青龍はいいね。全盛期みたいにむちゃくちゃ強いわけではないから、ものすごく必死で勝とうとがんばる。結果、見ていて、力の入る良い相撲になる。でも今場所一番良いと思うのは、豊ノ島。相撲がうまいね。

2010年1月22日

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【鳥肌実時局講演会】

鳥肌実時局講演会に行ってきた。前回のよりヨカッタ。幕間のビデオは確実に前回より面白かった。「悪の華」という写真集を買って、講演後にサイン会に並んだ。順番が来て、俺が指定したページ(ポスターと同じ写真の、ボードレールの詩が載っている見開き)に鳥肌がサインをしているときに、そのページが綴じている部分から外れて取れた。俺はそのままでも構わなかったが、鳥肌がスタッフに言って、新しい写真集を持ってこさせた。スタッフが戻ってくるまで少しのあいだ待って、改めてサインを書いてもらい、握手をした。ウチに帰ってサインを書いてもらったそのページをグイっと開いたら、また、そのページがとれた。俺はそういうのは全然気にならないので大丈夫。ヤマト糊でくっつけたあと、そのページを開いて、飾っている。

鳥肌実と江頭2:50は、タブーの外側にいるホンモノの芸人だ。ホンモノの芸人は少ない。芸人系テレビタレントは腐るほどいるが、そんなものは、アイドル系テレビタレントとか、女優系テレビタレントとかと同じで、毒にも薬にもなりやしいない。

2010年1月23日

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【いのちの食べかた】

「いのちの食べかた」というドキュメント映画(DVD)を観た。観る前の印象(想像)は、「人間のために無慈悲、無感動に日々殺され続ける牛や豚や鶏の姿を目の当たりにさせることで、俺ら人間に再考を促す映画」だったので、多少構えて見始めたが、実際はまるで違った。一言で言うとシュール。ドキュメンタリーなのに、ひたすらシュール(超現実的)な映画。動物愛護とか、自然回帰とか、なんかそういう鬱陶しいメッセージ性は一切ない。見る側が勝手にそういうものを感じ取るなら感じ取ればいい、というスタンスで、映画そのものはあくまでの中立。というか、この映画の作り手は、現在の食料生産の現場で繰り広げられる、超現実的な、ある種のばかばかしさすら感じる、あり得ない光景の連続に「オモシロサ」を見いだしているような気がする。

俺の一番のお気に入りは、地下深くにある塩の採取場。この映画は、映像に対して何の説明もしないから(BGMも一切ない。聞こえてくるのは環境音のみ)、本当に塩を取っているのかどうかは分からないが、食べ物の類で、地面を掘って取り出すものと言ったら塩以外には思い当たらないから、多分塩だろう。くたびれた感じの二人のオッサン作業員が、外が丸見えのエレベータで落ちるみたいな速さで地下深くに降り、そこから、延々と続く横穴を車で走った先にある、他の惑星の開拓地のような岩塩の白い人工洞窟へ向かう。もう、煤けた近未来世界を描いたSF映画そのものの光景。このシーケンスのためだけに、このDVDを買ってもいいと思った。

2010年1月24日

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【神々のトライフォース】

「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」を十数年ぶりでクリアした。Wiiのバーチャルコンソールで。エンドロールの絵とか、「記憶」とずいぶん違っていて驚いた。自分で考えている以上に覚えていないもんだし、ねつ造されてるね、記憶って。それにしても、「ゼルダ」は、このスーパーファミコン版がボリューム的には一番いい。あと、Wiiのクラシックコントローラは十字ボタンの出来が良くない気がする。

(2009年12月30日)

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【ぜいご】



鈴木常吉の「ぜいご」。
ドラマ「深夜食堂」のオープニング曲「思ひで」につられて買った。
聴いてみたら全曲いい。じっくり聞き込めばもちろん良い。
だが、安いラジカセでBGMとして流すと、
しがない日々の暮らしが、上質な映画のワンシーンのように思えて、
これまた大変ヨロシイ。
ココントコロこればっかり聴いてる。

(2009年12月30日水曜日)

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【龍馬伝】

2話までの印象は、毒にも薬にもならない、退屈なドラマ。総じて、やすっぽい。ただ、香川照之の岩崎弥太郎だけは、まあ、それなりの〈手触り〉がある。

(2010年1月16日)

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【把瑠都の強さはホンモノっぽい】

昨日白鵬を破って、今日日馬富士を破った把瑠都。勝ち方を見ていると、今場所の強さはホンモノっぽいね。もしかして、初優勝か? 風邪に気をつけて、がんばれ把瑠都。

(2010年1月17日)

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【把瑠都風邪ひいたか?】

把瑠都。昨日の豊ノ島戦はともかく、今日の朝青龍戦は、全く歯が立たなかったね。オトナと小学生が相撲をとったときに、マワシの後ろをつかまれて持ち上げられたりするけど、それと同じ感じで投げられた。まだまだ差があるのかな。でもがんばれ把瑠都。

(2010年1月20日)

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【宗教は痔】

宗教は痔の如し。どちらも人間が二足歩行を始めたからこそ患う宿命を背負った疾患である。

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【事業仕分】

自称「科学者」とか自称「芸術家」とか自称「知識人」とかの、金銭感覚の狂った、エリート意識丸出しの、金持ちドラ息子やドラ娘みたいな金の亡者が、被害者面して、金をせびっている。「事業仕分け」とかマドロッコしいことをするからだ。日常生活のサポート(住む、食う、ゴミ処理、病気治療)に直接関わること以外は、全部やめてしまって、一銭も使うな。ずっとそうしろと言ってるわけじゃない。一年、我慢しろ。あっちには金出すけど、こっちは出さないとか言ってるから、金の亡者どもがブーたれるんだ。使うのは生活を最低限保証分だけで、あとは一切なし。毎月の食費のやりくりに苦心してる家で、パソコン買ってくれだの、新しいバイオリンが欲しいだの、家庭教師をつけてくれだの、そんなこと言ってたら親父にぶん殴られるぞ。この国に、金があると思ってるのか? 金なんかないぞ。借金しかない。やってることは、クレジットカードの使い過ぎで自己破産するバカと同じことだ。「金の専門家」と呼ばれる連中が、金についていかに何も分かってないか、何の制御手段も持っていないかは、この前のリーマンなんとかで分かったはずだ。普通の感覚で考えればいい。借金がベラボーにあるんなら、生きて行くこと以外の目的で金は使うな。バカどもが。

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【ブルーレイ】

一度ブルーレイで映画を観る(PS3を買った)と、普通のDVDの画質の劣悪さが気になり始める。DVDを見始め時には、たまに借りたレンタルビデオの画質のヒドサに観る気が失せた。新しい高度なメディアが登場すると、新しい方の〈良さ〉よりも、前の世代のメディアの〈悪さ〉や〈至らなさ〉の方が目につく。つまり、「ブルーレイってきれいだよねえ」という感想より「DVDじゃもうだめだよね」という感想になる。オモシロイネ。

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【鳥人(とりじん)】

今年、笑い飯がM-1でやった「鳥人」は、スゲー面白かったなあ。百点満点も納得。でもまあ、みんなが知ってるように、笑い飯はいつも二発目がダメだから、優勝はないと思っていたら、案の定の結果。なぜか、二発目がいつも雑になるんだよね。まあ、いいんじゃないの、優勝なんか出来なくても。百点取れたから。下手に優勝なんかして、つまらない「芸人系テレビタレント」とかになってほしくないからね。

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【シューマッハF1復帰】

シューマッハが来期本当にF1に復帰するらしい(ロス・ブラウンと三たび組むことになる)。そんなプロレスラーみたいなことヤメトケ。第二のラウダを目指すのか。そうそう、うまく行くとも思えんがね。

(2009年12月24日木曜日)


78....

【ちくわの穴】

魂は、ちくわの穴のごとし。

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【ロックマン9】

最初にWiiを買おうと本気で考えた理由になったソフトが「ロックマン9」(Wiiウェア)。それをおとといやっと買った(さすがに「モンハン3」はもう飽きた)。武器選択画面を開いたら、武器とは違うごちゃごちゃと訳の分からんアイテム項目が多数。うわ〜、こういうのひとつも要らねえ。そういえば、ファミコン版のロックマンもあとの方は、鳥みたいなヤツとか炊飯ジャーみたいなヤツとかいろいろと無駄に「仲間」が増えちゃって、焦点の定まらないゲームになっていたよなあ。あと、ラッシュと合体して、空飛んでみたりとか。せいぜい、ラッシュがジャンプ台や足場代わりになるくらいでいいよ。あとは武器選択だけで、なんとかするゲームにしてほしかったなあ。原点回帰したわけじゃなくて、あくまでもファミコン版ロックマンシリーズの「続編」なんだなあ。その点が、けっこう残念。救済措置がやたら多いとか、オプションでゲームの難易度が選べるとか、そういうのって、作り手の「逃げ」としか思えないんだけどなあ。

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【愚劣な魂】

一般に、人間は、自分たちは野生動物より精神的に高度で高尚な存在だと思っている。身体的な能力は野生動物には劣っているかもしれないが、それを補ってあまりある精神的な優位性を持っている、と。ところが現実はそうじゃない。人間ならではの行動の多くは、もともと野生動物にも人間にも共通してあるごくありふれた「本能」から始まっている。だが、人間の行動の多くは、執拗に繰り返された伝言ゲームのように、「本能」がもともと要求していたものがなんだったのかが分からなくなっている。そこが人間と野生動物の振る舞いの根本的な違いだ。人間の、いわゆる「人間ならでは」の行動が、ときに度を超したおぞましさや愚劣さを示すのはそのためだ。人間が後生大事に挙げ奉る「魂」という愚劣な概念が、人間という動物を同類殺しのバケモノに変える。野生動物は素のままでバケモノにはならない。本能と〈直に〉つながっているからだ。だが、本能と歪んでつながる人間は、簡単にバケモノになる。人間は「精神的」にも野生動物に劣る存在なのだ。

AFP「呪術師に高値で売れる」、東アフリカ・ブルンジのアルビノに魔の手

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【MSイグルー2】

今更だけど、「MSイグルー2」全3話を観た。ひどいね。相当にひどい出来。前作は割合楽しめたので今回も期待していたのに、がっかりだ。唯一「いいねえ」と思ったのは「死神」のおねえさんの生身感。人間の肌の質感はずいぶん力を入れて作りこんでいた。いいのはそれだけ。あとは全然ダメ。なにより、人物造形がまるでナッテナイ。作り手に自覚があるかどうかは分からないが、三話とも主人公が〈同じ人間〉。見た目や名前や性別や境遇は違っていても、本質的には〈同じ人間〉が出てくる。細やかな人物造形や描き分けができないんだろう。しかも、そのたった一人の「人間」の振る舞いは、独りよがりの劇団員みたいに上滑りで、いちいちわざとらしい。生きている人間のもつ現実感がまるでない。苦悩とか心の傷とか、そういうものを知識としては知っていて、一応それらしい振る舞いをさせるが、どう見てもホンモノじゃない。嘘泣きや空騒ぎの世界が延々と展開する。更に、主人公たちの独白は、どれもこれも凡庸で陳腐。ついでに言えば、死神のお姉さんの台詞もこれまた凡庸で陳腐。中学生くらいなら「いいまわし」に惑わされて喜ぶかもしれないが、ダイのオトナを相手にするには浅薄すぎる。作り手が自分の身の丈をわきまえずに、背伸びして作ったせいで、こんなミットモナイものが出来てしまった。人間の言葉や仕草に対して細やかな感受性を持っていないのなら、その方面には手を出さない方が良い。淡々と、そして黙々と起きた事実を描くのみというやり方でも、感動や感激は伝えることが出来る。表現って、そういうものだろう。

ロックンローラーは、オペラ歌手を手本になどしない。その逆もまた然り。

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77.....

【外事警察第二話】

外事警察第二話を見た。住本がますます年を食った真山に見えて来た。誰も信用できない、ある日いきなり身内に背中を刺されるような世界がガンガン展開中。いい。

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【「Wiiの間」更新】

「Wiiの間」がリニューアルされた。「Wiiの間」とは、任天堂のゲーム機「Wii」の中にあるバーチャルな茶の間だ。茶の間ではオリジナル番組を放送しているテレビを見る。どのテレビ番組も10分程度だが、なかなかに見応えがある。取材VTRを見て、スタジオに居並んだどうでもいいタレントたちがつまらないコメントをする、という部分を全部とっぱらって、取材VTRだけを流す番組スタイル。だから放送時間も短い。中で「修理、魅せます」は、見ると必ず感心する。職人業の妙に感服する。これはそうとうにいい番組だ。あと、吉本芸人のネタも見られる。長めのネタでも、小さいネタでもちゃんと全部観られるところがいい。という感じで今までは「テレビ」を見るだけだった「Wiiの間」だが、今回のリニューアルで茶の間の「二階」に「ホームシアター」が出来た。無料の「テレビ」と違って、「ホームシアター」は基本的に有料レンタルで、かつ、必ずしもWii専用のオリジナル作品ではない。要するに、既存の映像ソフトをオンラインで配信する、今時の「映像ソフトのネット配信レンタルサービス」だ。で、その有料コンテンツのラインナップがかなりいい。というか気に入った。もう、クラクラした。一番、わーお、となったのは、NHKの伝説の名番組「映像の世紀」。シリーズ全部が見られるらしい。あとは、「猪木対アンドレ」「猪木対タイガー・ジェット・シン」などの新日本プロレスの黄金期の試合や、「まっくら森の歌」や「ラジャ・マハラジャ」などの「みんなのうた」、そして、天才村上ショージのギャグ集(どんなんだ?)。どれもこれも、ピンポイントで、こう、やられた。さっそく、「猪木対アンドレ」の試合を観た。今の感覚からすると、ずいぶん地味でかつ牧歌的な試合展開だが、見た目が牧歌的なだけで、けっこうキツイのは猪木の表情からわかる。誰もアンドレになんか、勝てねえよ、と改めて思う。「まっくら森の歌」も借りて見た。歌の方は音源が手元にあるから、今更どうということもなかったが、実際数十年ぶりに見る映像は、記憶の中の映像とずいぶん違っていて、けっこう驚いた。

2009年11月22日 15:10

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【憑き物】

10年以上前に、画家志望の予備校生が交通事故で死んだらしい。残された両親は、自宅の一階を展示場にして、死んだ息子が残した作品を今も展示しているという。そういうドキュメンタリー番組を見た。暗澹たる気分になった。生きてる子供をかわいがり贔屓する「親ばか」なら、まだこちらもテレビに向かって突っ込んでみたりして笑って済ませられるが、死んだ子供に対する「親ばか」はどうしようもない。あそこまでムキになってる両親に向かって、「そりゃ、親の欲目だよ」とも言えないし、かと言って、そう大した作品でもないものを、両親に気を使って、すばらしい、奇跡だとか言って、持ち上げる気もさらさらない。番組内で、いくつかの作品が映し出されて紹介されていたが、どの作品も、どうにもこうにも凡庸で稚拙。わざわざ短い番組時間内に取り上げる作品なのだから、おそらく代表的なものなのだろうが、あの程度の絵なら、日本国中の高校生が今日もどこかで描いている。思春期前後の年齢の人間がいかにも描きそうな、いたって「普通」の作品だ。父親がいたく感激していた「残された文章」にしてもそうだ。思春期の子供が、内面に「ある暗さ」をもっているのは当たり前のことで、死や自分の将来について、あの程度のことを書き残したくらいで、感激するのはどうかと思う。しかもその父親が元高校教師だというのが、更にいけない。この元教師の父親は、思春期の生徒たちといったいどういう接し方をして来たんだろう。愕然となる。自分が日々相手にして来た生徒たちの内面性にはいっさいかまわないで、ただ、事務的に「ベンキョー」だけを教えていたとしか思えない。お粗末にもほどがある。

俺が言いたいのは、「死んだ画家志望の息子が残した作品はどれもこれも才能を感じない、つまらないものばかりでダメだ」ということではない。芸術なんてものは、才能があろうがなかろうが、自分が好きならどんどんやればいいし、やって気に入ったものを作り上げることができたら、それが芸術の与えてくれる最高の幸せなわけだから、それで十分なのだ。芸術の創作活動は、他の誰でもなく、それを作り上げた当人が「満足なものができた」と言えたなら、それで全て報われる。作り手以外の人間にとっての芸術は、ある時のある者にとっては命にも勝る価値を持ち、また別のときの別の者にとっては糞以下の値打ちもない。死んだ息子が残した作品が、今の俺たちの評価基準から見ると、取るに足らない陳腐なものだとしても、それはそれだけのものだ。時代が変わり場所が変われば、高く評価されることがあるかもしれない(ないと思うけど)。かと言って、俺は、死んだ画家志望の息子を非難するつもりも、見下すつもりもまったくない。お話にならないほどダメで、俺を暗澹たる気分にさせたのは、残された両親の振る舞い方だ。

芸術家が作品を公開するのは、〈正直で客観的な〉世間の評価を知りたいと思うからだ。だが、死んだ息子が残した作品を「すばらしいものだ」と思い、熱意をもって公開している両親に向かって、どこの誰が、作品に対する正直な感想や意見を述べるというのか? 誰もそんなことはしない。では、「嘘」をつくのか? いや、それは絶対に出来ない。芸術に思い入れがあればあるほど、自分自身の芸術に対する評価基準に嘘をつくことはできない。本来絶対の評価基準などないはずの芸術は、一方で絶対に譲れない強制力を持つ。芸術というものは、そういう不可思議なものだ。つまり、自分がつまらないくだらないと感じている作品を持って来て、「こいつは、すばらしい」とは口が裂けても言えないのが、芸術にまともに向き合う者の絶対の行動原理だ。言いたくないのでも、言ってはいけないのではなく、言えないのだ。ではどうするのか? ドキュメンタリー番組にも出ていた造形家のように、作品そのものの評価はさけて、作り手の熱意とか人間性を持ち上げてお茶を濁すしかないだろう。絶対に否定的な評価が出てこない状況で作品が公開されても、そこにどんな意義があるというのか? そんなものは、社長の孫娘の聞くに堪えないバイオリン発表会となんら違いはない。

もし、死んだ息子が画家としてのそれなりの眼力なりポテンシャル(潜在能力)を持っていたとしたら(死ぬまでの時点でそのポテンシャルが発揮されていたとは到底言えないが)、自分が残した作品を巡る今のこの状況に耳まで赤くなって恥じ入るだろう。自分が残した作品の至らなさや、凡庸ぶりは、当人が一番よくわかるはずだからだ。それを、いっぱしの絵画作品気取りで一般に公開されたり、たとえローカルとは言え、テレビで放送されたりしているわけだから、みっともなくて死にたい気分になるだろう(もう死んでるけど)。ああ、本当にひどい。残された両親は自分たちの満足のために二人掛かりで、死んだ息子をなぶり者にしている。暗澹たる気分。両親のこの愚かな行動のせいで、死んだ息子は10年以上もまったく成仏できずに、彼が残した作品の周辺を今もさまよっている。この両親には「憑き物落し」が必要だ。いや、まわりの人たちが誰も迷惑していないというのなら、そのままでもいいけど。

久々に「本当に呪われているヒト」をテレビで見たので、つい長々と書いてしまった。

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【あなたとはちがうんです】

この前、風呂に入っていてふと思った。「私は自分を客観的に見ることが出来るんです。あなたとは違うんです」とか言って、流行語大賞候補にもなった福田元首相。ご自慢の「自分自身を客観的に評価する能力」で、「自分には総理大臣職をまっとうするだけの力量も胆力もない」ということに気付かなかったのか。答えは二つ。福田さんは、本当は、他の人と同じで、自分自信を客観的に見る(評価する)ことなどできない。実は「あなたとは違」わない。もう一つの答えは、客観的に自分自身を評価することは出来るが、その評価基準(眼力)が、ぽんこつの役立たず。どちらにしても、優れた官房長官(伝言屋)どまりのヒトだったということか。

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