うつつのうつろ
76....
「Adobe Air」というものがあることを今日知った。デスクトップガジェットとかブログパーツとかそういうタグイの仲間だろう。で、その「Adobe Air」のアプリケーションギャラリーで、「Aozora Bookshelf」というものを見つけた。見つけたというか、新着ものの一番上にあったから気付いただけなんだけど。名前の通り、「青空文庫」のテキストデータの一覧を本棚として表示し、本文も本のような見た目で読める。まあ、この手のモノは、いままでにも割とあったし、いくつか自分でも持っている。が、無料なので、早速ダウンロードして試してみた。いい。「azur」とか「T-Time」とかよりも、この「Aozora Bookshelf」のほうが、いい。
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エネループの新型が出た。充電回数が1000回から1500回に増えた。あと、急速充電器や太陽電池充電器など、周辺アイテムもいろいろ。単三形と単四形しかないと思っていたら、いつの間にか、単一も単二も出来ていた。やるなあ、サンヨー。
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『深夜食堂』。主要都市での放送開始時には、無視されていた(無視していた?)北海道。さっき、ふと、そんな気がして、ホームページを調べてみたら、案の定、北海道でも放送が始まっていた。しかもおととい(11月12日25時半)から。一足違い。ニュータイプの勘もこの程度か。ニュータイプじゃないないし、ニュータイプ嫌いだけど。さっそく来週分は録画予約した。
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『外事警察』。初回を観た。NHK土曜ドラマらしいダークな雰囲気。良かった。しかし、渡部篤郎が刑事系をやると、どうしても真山(「ケイゾク」)に見えてしまう。今回も、刑事なのに、すべての登場人物の中で一番怪しい。次回も楽しみだ。
(2009年11月15日 11:27)
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「Adobe Air」というものがあることを今日知った。デスクトップガジェットとかブログパーツとかそういうタグイの仲間だろう。で、その「Adobe Air」のアプリケーションギャラリーで、「Aozora Bookshelf」というものを見つけた。見つけたというか、新着ものの一番上にあったから気付いただけなんだけど。名前の通り、「青空文庫」のテキストデータの一覧を本棚として表示し、本文も本のような見た目で読める。まあ、この手のモノは、いままでにも割とあったし、いくつか自分でも持っている。が、無料なので、早速ダウンロードして試してみた。いい。「azur」とか「T-Time」とかよりも、この「Aozora Bookshelf」のほうが、いい。
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エネループの新型が出た。充電回数が1000回から1500回に増えた。あと、急速充電器や太陽電池充電器など、周辺アイテムもいろいろ。単三形と単四形しかないと思っていたら、いつの間にか、単一も単二も出来ていた。やるなあ、サンヨー。
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『深夜食堂』。主要都市での放送開始時には、無視されていた(無視していた?)北海道。さっき、ふと、そんな気がして、ホームページを調べてみたら、案の定、北海道でも放送が始まっていた。しかもおととい(11月12日25時半)から。一足違い。ニュータイプの勘もこの程度か。ニュータイプじゃないないし、ニュータイプ嫌いだけど。さっそく来週分は録画予約した。
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『外事警察』。初回を観た。NHK土曜ドラマらしいダークな雰囲気。良かった。しかし、渡部篤郎が刑事系をやると、どうしても真山(「ケイゾク」)に見えてしまう。今回も、刑事なのに、すべての登場人物の中で一番怪しい。次回も楽しみだ。
(2009年11月15日 11:27)
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75.....
いわゆる「名誉殺人」は、〈人間的なもの〉の害悪の典型だ。親族関係と結婚制度という二つの〈発明〉は、生物のありようからすれば、なくていい、恣意的なものだ。気にする方がおかしい、不要なものだ。そこに〈宗教〉という蒙昧が加われば、晴れて「名誉殺人」というキチガイ行為が誕生する。人間が、〈動物とは違う〉として偉ぶる〈人間的なもの〉の多くは、動物としての〈本能〉がその出所になっている。要するに、人間は、本能を粉飾し、勝手な理由付けして、グロテスクなものに作り替え、それを高次(高度)なナニカだと思い込んでいるだけだ。それら「エセ高級品」は、生物の基準に忠実でない分、人間にオゾマシイ行為をやらせてしまいがちだ。人間が、天然自然よりも高度だとか上等だとか進歩しているとか思い込んでいるものの多くは、人間の蒙昧に拍車をかけるだけのマガイモノだと用心した方がいい。人間は、自分たちで思っている以上に、存在世界(精神世界という意味ではなく、物理法則に従うこの世界という意味)の中の自分というものが、見えていない。(ヨルダンで起きた「名誉殺人」の記事を読んで)
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2654270/4780176
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放送開始以来「ブラタモリ」を毎週見ている。高低差好きのタモリが、江戸の古地図片手に、東京の街をぶらつくNHKの番組。毎回、ゆるい感じとダイナミックな感じの混ざり具合がとてもいい。とりわけ今週(2009.10.22)放送された「銀座」は、こちらの予想に反してクラクラするほどよかった。ビルの中のコーヒー屋を通り抜ける、自動ドア付き路地。路地の奥に、ひっそりこっそり存在する、正体不明のコンビニエンスストア。ああ、シュール。事実は小説よりも奇なり。路地好きにはたまらんね。
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ボルヘスというオッサンの「伝奇集」という短編小説集を読んでいる。忍耐力を試される。鼻につく、もってまわったような言い回し。教養主義的饒舌。退屈なモチーフ。こちらが全く興味も関心もない話題を延々と喋り続ける酔っぱらいの長話。もしくは、なぜ引退しないのか分からないすっかりくたびれた大学教授の講義。よく喋る、しかし何も語ってはいない、という、まさにあれ。翻訳がひどいのか、そもそも原文からこうなのかはしらない。人によると「20世紀を代表する作家」らしいが、作品を読んでも、全然そんなふうには思えない。ごてごてした包装紙とありきたりの中身。この作家の作品は、文体の〈煩雑さ〉に惑わされるが、存外、底は浅い。煩雑さは、モチーフに対する書き手の確信のなさの現れ。「隠れた奇跡」など面白いモチーフの作品もあるが、作品としての価値を高めようとしているのか、単に字数を稼ぐためなのか、前半部分でくどくどとどうでもいいことを書き連ねていて、なんだかつきあってらんない気分になる。もったいない。どの作品を読んでも、「この場所はとうの昔に通り過ぎた」という印象ばかりが残る。ということは、つまり、この作家にばかり責任があるわけではないということか? 作品のモチーフが、今となってはどれも有効性を失い、陳腐化してまったために、蝉の抜け殻みたいにカスカスした印象しか与えないが、かつては、もっと衝撃的で刺激的な作品だったのかもしれない。書き手のモンダイではなく、読み手のモンダイか。
*******
姜尚中、上野千鶴子、宮台真司、茂木健一郎、中沢新一、糸井重里の6人が吉本隆明について答えたインタビュー本。糸井重里を除いて、全員が大学教授かその類いだという点がポイント。それぞれのインタビューを読むと、教授や教師や学者は思想家ではなく、思想を取り扱う実務家だとよくわかる。彼ら(糸井重里を除く)にとっての思想や学問は〈商品〉だ。吉本自身も、自らの思想を〈商品〉として切り売りしているのだから、同じだと言えば同じなのだが〈最初〉の部分で違う。微妙な違いだが、決定的だ。こういう喩えはどうだろう。農民がいる。自分とその家族が食べるための作物を作り、もしも余れば、他の人にも売る。これが吉本。最初から他の人に売ることを念頭に作物を作る。これが大学教授たち。こうも言える。吉本が思想し学問するのはそれが彼の生きる目的だから。大学教授たちの思想学問は、突き詰めれば生きる手段。この本を読むと、無手勝流の野生児剣士と道場の師範代のような違いを、吉本と、彼を語る大学教授たちの間に感じる。尺度が違うとはこういうことだ、とよく分かる。上野千鶴子にはまるでなじみがないが、他の5人については多少著作を読んだことがある。姜尚中はジャーナリスト、宮台真司は超政治的な政治活動家、茂木健一郎はよく喋る実験者、中沢新一は心の考古学者という印象。そして、糸井重里はおそるべきシロウト。糸井重里以外には、思想的な修練や努力の匂いがするが、彼(糸井)にはそれがない。にも関わらず、斬り込む太刀筋はもっとも鋭い。「北斗の拳」の雲のジュウザのようなタイプ。
吉本を試薬にして、姜尚中、上野千鶴子、宮台真司、茂木健一郎、中沢新一、糸井重里の能力値(パラメータ)が開示されているようで、面白く読めた。
(藤生京子著「吉本隆明のDNA」を読んで)
*******
2006年の11月に買ったiMacの画面に、有名な縦線が入り始めてからしばらく経った。最初一本だったのが、今は三本。仕方なく外付け液晶モニターを買った。iiyamaのProLite E2209HDS。Amazonで15000円ちょっと。液晶モニターも安くなったね。DVI用のケーブルも付属している。だが、iMacとつなぐには、ケーブル(アダプター)が要る。Apple製の「Apple Mini DVI-DVI アダプタ」を同時購入。いろいろと紛らわしいケーブルが売られているが、俺のiMacは、これが正解らしい。つなげてみたら、スコッとつながって、ぱっと映った。が、どことなくぼやけている。モニター側のColor Temp.という設定をsRGBにしたらスッキリした画面になった。DVDの映画を映してもみた。いい感じ。悪くない。良い買い物をした。(2009年10月27日火曜日)
*****
エビ寄せフライが不味くなった。なにか、リニューアルされたらしい。味が濃くなった気がする。10代の頃からの好物だったので、がっかりだ。
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唐招提寺をモチーフにしたテレビ番組(民放)を見た。結構な長時間。考古学的、歴史学的な視点からは、それなりに興味深く、楽しめた。だが、再現ドラマ(?)が何とも薄っぺらく感じた。演技や脚本のせいではない。俳優のせいでもない。このドラマは歴史的な事実に基づいているはずだから、要するに、ドラマに登場する実在の人物たちの言動そのものが薄っぺらだったのだ、というしかない。仏教者を中心に据えているのに、これで仏教者なのか? と、苦笑してしまうような言動が連発。いや、仏教者が信仰を口にするようになった時点で、すでに仏教は仏教でなくなったのだろう。鑑真(がんじん)も如宝(にょほう)も、例えば、キリスト教がいうところの「主(しゅ)」と同じ意味で、「御仏(みほとけ)」という言葉を使う。彼らにとって、仏と神が交換可能なのだ。仏は、一番偉い神様というニュアンスしかない。もちろん、事実は、仏と神とでは、まったく位相がちがう。魚と自転車、チョコレートと土星ほど違う。修行者からしてそうなのだから、俗人たる貴族連中が、トンチンカンな言動を繰り返すのは仕方がないと言えば仕方がない。それにしても、ひどい。いや、ドラマではなく、当時の人の心の迷妄ぶりが、だ(特に上流と呼ばれる連中の心のいびつさを強く感じた)。当時? いやいや、当時に限ったことではない。受戒に絡めて、現在の中国の大きな寺で行われている「仏教修行」の様子も少し紹介されていたが、その様子は、やれやれアサマシイ限り。箸をこうしたら汁を多く、ああしたら具を多くとか、歯ブラシは縦にしか使ってはいけないとか、女とは1メートル以上はなれていないといけないとか、大学のマヌケな運動部と変わらないことを、はげ頭が大勢でオオマジメに取り組んでいた。意味のない形式、些末なこだわり、もはやなぜそうなのか誰も知らない取り決め。そんなものにばかり拘泥して、それ自体が修行の目的になってしまっている。こんなことだから、最高級クラブをそろえ、上から下まで一流品でびっちり身支度してはいるが、ボールが前に飛んだことは一度もないゴルフプレイヤーのような坊主が大量に世の中に出回ることになる。中国に限った話ではない。信仰を口にする仏教者たちが「修行」と称するものの実態は、日本でも同じだろう。日本の仏教は、最初からほぼ偽物で、それが時代を経るに従って更にどんどんダメになって、親鸞が〈改革〉して少し持ち直したけど、後継者の才能が続かないから、結局は、はげ頭の葬儀屋のお題目に成り果てたというわけか。
(2009年11月8日 13:59)
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いわゆる「名誉殺人」は、〈人間的なもの〉の害悪の典型だ。親族関係と結婚制度という二つの〈発明〉は、生物のありようからすれば、なくていい、恣意的なものだ。気にする方がおかしい、不要なものだ。そこに〈宗教〉という蒙昧が加われば、晴れて「名誉殺人」というキチガイ行為が誕生する。人間が、〈動物とは違う〉として偉ぶる〈人間的なもの〉の多くは、動物としての〈本能〉がその出所になっている。要するに、人間は、本能を粉飾し、勝手な理由付けして、グロテスクなものに作り替え、それを高次(高度)なナニカだと思い込んでいるだけだ。それら「エセ高級品」は、生物の基準に忠実でない分、人間にオゾマシイ行為をやらせてしまいがちだ。人間が、天然自然よりも高度だとか上等だとか進歩しているとか思い込んでいるものの多くは、人間の蒙昧に拍車をかけるだけのマガイモノだと用心した方がいい。人間は、自分たちで思っている以上に、存在世界(精神世界という意味ではなく、物理法則に従うこの世界という意味)の中の自分というものが、見えていない。(ヨルダンで起きた「名誉殺人」の記事を読んで)
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2654270/4780176
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放送開始以来「ブラタモリ」を毎週見ている。高低差好きのタモリが、江戸の古地図片手に、東京の街をぶらつくNHKの番組。毎回、ゆるい感じとダイナミックな感じの混ざり具合がとてもいい。とりわけ今週(2009.10.22)放送された「銀座」は、こちらの予想に反してクラクラするほどよかった。ビルの中のコーヒー屋を通り抜ける、自動ドア付き路地。路地の奥に、ひっそりこっそり存在する、正体不明のコンビニエンスストア。ああ、シュール。事実は小説よりも奇なり。路地好きにはたまらんね。
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ボルヘスというオッサンの「伝奇集」という短編小説集を読んでいる。忍耐力を試される。鼻につく、もってまわったような言い回し。教養主義的饒舌。退屈なモチーフ。こちらが全く興味も関心もない話題を延々と喋り続ける酔っぱらいの長話。もしくは、なぜ引退しないのか分からないすっかりくたびれた大学教授の講義。よく喋る、しかし何も語ってはいない、という、まさにあれ。翻訳がひどいのか、そもそも原文からこうなのかはしらない。人によると「20世紀を代表する作家」らしいが、作品を読んでも、全然そんなふうには思えない。ごてごてした包装紙とありきたりの中身。この作家の作品は、文体の〈煩雑さ〉に惑わされるが、存外、底は浅い。煩雑さは、モチーフに対する書き手の確信のなさの現れ。「隠れた奇跡」など面白いモチーフの作品もあるが、作品としての価値を高めようとしているのか、単に字数を稼ぐためなのか、前半部分でくどくどとどうでもいいことを書き連ねていて、なんだかつきあってらんない気分になる。もったいない。どの作品を読んでも、「この場所はとうの昔に通り過ぎた」という印象ばかりが残る。ということは、つまり、この作家にばかり責任があるわけではないということか? 作品のモチーフが、今となってはどれも有効性を失い、陳腐化してまったために、蝉の抜け殻みたいにカスカスした印象しか与えないが、かつては、もっと衝撃的で刺激的な作品だったのかもしれない。書き手のモンダイではなく、読み手のモンダイか。
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姜尚中、上野千鶴子、宮台真司、茂木健一郎、中沢新一、糸井重里の6人が吉本隆明について答えたインタビュー本。糸井重里を除いて、全員が大学教授かその類いだという点がポイント。それぞれのインタビューを読むと、教授や教師や学者は思想家ではなく、思想を取り扱う実務家だとよくわかる。彼ら(糸井重里を除く)にとっての思想や学問は〈商品〉だ。吉本自身も、自らの思想を〈商品〉として切り売りしているのだから、同じだと言えば同じなのだが〈最初〉の部分で違う。微妙な違いだが、決定的だ。こういう喩えはどうだろう。農民がいる。自分とその家族が食べるための作物を作り、もしも余れば、他の人にも売る。これが吉本。最初から他の人に売ることを念頭に作物を作る。これが大学教授たち。こうも言える。吉本が思想し学問するのはそれが彼の生きる目的だから。大学教授たちの思想学問は、突き詰めれば生きる手段。この本を読むと、無手勝流の野生児剣士と道場の師範代のような違いを、吉本と、彼を語る大学教授たちの間に感じる。尺度が違うとはこういうことだ、とよく分かる。上野千鶴子にはまるでなじみがないが、他の5人については多少著作を読んだことがある。姜尚中はジャーナリスト、宮台真司は超政治的な政治活動家、茂木健一郎はよく喋る実験者、中沢新一は心の考古学者という印象。そして、糸井重里はおそるべきシロウト。糸井重里以外には、思想的な修練や努力の匂いがするが、彼(糸井)にはそれがない。にも関わらず、斬り込む太刀筋はもっとも鋭い。「北斗の拳」の雲のジュウザのようなタイプ。
吉本を試薬にして、姜尚中、上野千鶴子、宮台真司、茂木健一郎、中沢新一、糸井重里の能力値(パラメータ)が開示されているようで、面白く読めた。
(藤生京子著「吉本隆明のDNA」を読んで)
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2006年の11月に買ったiMacの画面に、有名な縦線が入り始めてからしばらく経った。最初一本だったのが、今は三本。仕方なく外付け液晶モニターを買った。iiyamaのProLite E2209HDS。Amazonで15000円ちょっと。液晶モニターも安くなったね。DVI用のケーブルも付属している。だが、iMacとつなぐには、ケーブル(アダプター)が要る。Apple製の「Apple Mini DVI-DVI アダプタ」を同時購入。いろいろと紛らわしいケーブルが売られているが、俺のiMacは、これが正解らしい。つなげてみたら、スコッとつながって、ぱっと映った。が、どことなくぼやけている。モニター側のColor Temp.という設定をsRGBにしたらスッキリした画面になった。DVDの映画を映してもみた。いい感じ。悪くない。良い買い物をした。(2009年10月27日火曜日)
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エビ寄せフライが不味くなった。なにか、リニューアルされたらしい。味が濃くなった気がする。10代の頃からの好物だったので、がっかりだ。
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唐招提寺をモチーフにしたテレビ番組(民放)を見た。結構な長時間。考古学的、歴史学的な視点からは、それなりに興味深く、楽しめた。だが、再現ドラマ(?)が何とも薄っぺらく感じた。演技や脚本のせいではない。俳優のせいでもない。このドラマは歴史的な事実に基づいているはずだから、要するに、ドラマに登場する実在の人物たちの言動そのものが薄っぺらだったのだ、というしかない。仏教者を中心に据えているのに、これで仏教者なのか? と、苦笑してしまうような言動が連発。いや、仏教者が信仰を口にするようになった時点で、すでに仏教は仏教でなくなったのだろう。鑑真(がんじん)も如宝(にょほう)も、例えば、キリスト教がいうところの「主(しゅ)」と同じ意味で、「御仏(みほとけ)」という言葉を使う。彼らにとって、仏と神が交換可能なのだ。仏は、一番偉い神様というニュアンスしかない。もちろん、事実は、仏と神とでは、まったく位相がちがう。魚と自転車、チョコレートと土星ほど違う。修行者からしてそうなのだから、俗人たる貴族連中が、トンチンカンな言動を繰り返すのは仕方がないと言えば仕方がない。それにしても、ひどい。いや、ドラマではなく、当時の人の心の迷妄ぶりが、だ(特に上流と呼ばれる連中の心のいびつさを強く感じた)。当時? いやいや、当時に限ったことではない。受戒に絡めて、現在の中国の大きな寺で行われている「仏教修行」の様子も少し紹介されていたが、その様子は、やれやれアサマシイ限り。箸をこうしたら汁を多く、ああしたら具を多くとか、歯ブラシは縦にしか使ってはいけないとか、女とは1メートル以上はなれていないといけないとか、大学のマヌケな運動部と変わらないことを、はげ頭が大勢でオオマジメに取り組んでいた。意味のない形式、些末なこだわり、もはやなぜそうなのか誰も知らない取り決め。そんなものにばかり拘泥して、それ自体が修行の目的になってしまっている。こんなことだから、最高級クラブをそろえ、上から下まで一流品でびっちり身支度してはいるが、ボールが前に飛んだことは一度もないゴルフプレイヤーのような坊主が大量に世の中に出回ることになる。中国に限った話ではない。信仰を口にする仏教者たちが「修行」と称するものの実態は、日本でも同じだろう。日本の仏教は、最初からほぼ偽物で、それが時代を経るに従って更にどんどんダメになって、親鸞が〈改革〉して少し持ち直したけど、後継者の才能が続かないから、結局は、はげ頭の葬儀屋のお題目に成り果てたというわけか。
(2009年11月8日 13:59)
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【6.iPod】
猫の散歩は、散歩というより見回りに近い。だから、排水溝や側溝や地面の穴など、以前に野ネズミや他の猫を見かけた場所を巡回する。ただ巡回するだけではなく、しばらく、その場に留まって、野ネズミや他の猫が再度現れないかどうか見張る。この時間が、散歩同伴人にとっては長い。従って、iPodは必需品である。音楽でも落語でもポッドキャストでもなんでも入れておけば、猫がどんなに一カ所でじっと動かなくても、全く苦にならない。ただし、注意点が一つ。iPodを聞いていると、外界の音が聞こえにくい。自転車や歩行者や自動車が近づいて来ても人間が気付かないうちに猫が気付いて、突然ダッシュで逃げ出そうとしたりする。猫のこの突然のダッシュは、猫にも散歩同伴人にも、それ以外の歩行者や自動車にとっても、キケン。だから、iPodを聞いているときは、猫から目を離さないこと。こちらの耳が塞がっていても、猫から目を離さなければ、彼(彼女)の仕草、反応でナニカが近づいていることがわかり、突然のダッシュを防ぐための事前の対処が出来る。猫散歩では、猫は衝動的に動くということを常に頭に入れておくことが大事。
2009年10月25日日曜日
猫の散歩は、散歩というより見回りに近い。だから、排水溝や側溝や地面の穴など、以前に野ネズミや他の猫を見かけた場所を巡回する。ただ巡回するだけではなく、しばらく、その場に留まって、野ネズミや他の猫が再度現れないかどうか見張る。この時間が、散歩同伴人にとっては長い。従って、iPodは必需品である。音楽でも落語でもポッドキャストでもなんでも入れておけば、猫がどんなに一カ所でじっと動かなくても、全く苦にならない。ただし、注意点が一つ。iPodを聞いていると、外界の音が聞こえにくい。自転車や歩行者や自動車が近づいて来ても人間が気付かないうちに猫が気付いて、突然ダッシュで逃げ出そうとしたりする。猫のこの突然のダッシュは、猫にも散歩同伴人にも、それ以外の歩行者や自動車にとっても、キケン。だから、iPodを聞いているときは、猫から目を離さないこと。こちらの耳が塞がっていても、猫から目を離さなければ、彼(彼女)の仕草、反応でナニカが近づいていることがわかり、突然のダッシュを防ぐための事前の対処が出来る。猫散歩では、猫は衝動的に動くということを常に頭に入れておくことが大事。
2009年10月25日日曜日
74.....
今までいろいろ使ってきたなかで、ジュゲムのブログが一番使いやすい。一番使いにくいのはヤフー。次は、Lovelog(元DION、今はau)。この二つは結構ヒドイ。ズゴックみたいに扱いづらい。
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録画してそのままにしておいたNHKドラマ「気骨の判決」を観た。戦時中の人の心というものは、単純な善悪や正誤では割り切れない。劇中の主人公の言葉どおり、一筋縄ではいかない。(2009.9.23)
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電子貸本Renta!(二日で百円、一年で三百円)で手塚治虫の「サンダーマスク」を読んだ。「ロックマン」のエレキマンのモデルになったらしいというそれだけで読んだ。ストーリーそのものよりも、炭素生物と硅素生物というアイディアが面白かった。この世界に、時間という「別人」はいない、と改めて思うね。
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白鵬、本割りは強いのに、決定戦は弱いね。なぜだろう? 朝青龍はさすがだ。さすがだけど、勝ったあとの長渕剛の登場は気持ち悪かった。土俵上のガッツポーズは別に気にならなけど。来場所は、把瑠都と鶴竜の活躍に期待。大関二人の琴琴コンビはだらしないよ。あと、魁皇がんばれ! 千代大海さようなら。
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ベルギーの酪農業者たちが、牛乳の価格急落に抗議して、牛乳300万リットルを畑や道路にまき散らしたというニュース記事を読んだ。食うために、せっかく手に入れた大量の食い物(この場合は牛乳)を捨てる人間。人間という生き物の"アリカタ"は、もはや生き物のルールの外にある。未だ生き物としてしか存在し得ない人間は、だが既に、生き物としての生き方を放棄している。その点で人間は破綻している。人間は、人間以外のすべての生き物に対して、自分が生き物であることを主張できない。人間以外の全ての生き物にとって、人間はもはや生き物ではない。"人間社会"という人工物の中の部品にすぎない。人間以外の全ての生き物にとって、人間の全ての活動は、火山噴火や落雷や台風のような天災に等しい。そこに"意思"はない。空虚な物理現象。人間は、もはや、モノだ。
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大型モンスターになって、有象無象のハンターどもをけちらす「逆モンスターハンター」をやりたい。
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「世にも奇妙な物語 秋の特別編」を観た。
検索する女の話については、特に言いたいことはない。▼自殺者リサイクル法の話は、自殺者そのものにリアリティがなくてまず、興ざめする。自殺者の精神状態は、あのドラマみたいに「普通」ではない。精神がずいずいにやせ細って、あるいは削りに削り取って、針のようになってしまうからこそ自殺に踏み切ってしまうのだ。心が〈病的に〉先鋭化することで、意思が、肉体の〈ただ理由もなく生き続ける〉という強力な力を、押し返したり、無効化したりすることで、人間は初めて自殺できる。自殺の理由(きっかけ)は、失恋みたいなくだらないものだろうと、自分の不注意で原子炉を爆発させて何百万人もの人間を殺してしまった罪の意識みたいな超重量級のものだろうと、そんなのは関係ない。肝心なのは、実際に自殺に踏み切ってしまうときの、人間の心の〈やせ細り〉度合いだ。それは、自殺なんかしないで普通に生きている人間とは、まったく次元が違う、心のアリヨウだ。踏み切ったはずの自殺を安直な発想の政府の機関によって〈なかったこと〉にされた自殺者が、あんなに〈おとなしく〉している時点で、あの自殺者たちはツクリモノにしか見えない。自殺しない者たちの論理では行動しないから自殺者なのだ。あれは自殺者ではない。▼呪い殺人の裁判の話は、作り手が「呪い」というものの本質をよくわかって作っていると感じた。「呪い」とは、端的に言ってしまえば「関係妄想」にすぎない。なんの因果関係もない甲という出来事と、乙という出来事に、因果関係を妄想する、その妄想が「呪い」だ。あるいは、「呪いをかける」とは、そういうたぐいの妄想を抱かせるようにしむけること、あるいは、「呪いをかける」本人が、そう思い込むことそれ自体。本来無関係な甲と乙の間に因果関係があるかもしれないと着想(発想)するのは、人間の専売特許ではない。パブロフの犬だろうと、餌皿の前に座ってご飯を待つうちの猫だろうと、それはやっている。だが、彼らの甲と乙の間には、それを介在する人間の気付きと行動がある。うちの猫が、餌皿の前に座って、見事食事にありつけるのは、俺が、猫の気持ちを察して、餌をやるからだ。人間の「呪い」が関係妄想なのは、甲と乙の間を介在する実行者が人間の想像(妄想)にすぎない点にある。神とか悪魔とか邪悪な力とか、そういう人間同士の中でしか通用しない想像の産物が「呪い」の介在者、実行者だ。だから、人間ではない、猫や石に対して、「呪い」は、かけることはできるが、かからない。逆に言えば、だから、「呪い」は人間にとっては必ず実在するとも言える。ドラマの中での裁判員たちに起きている全ては、まぎれもない「呪い」だ。呪いの介在者はいない。だが、呪いは現実する。だた呪うのも呪われるのもいつも人間だけだということ。▼すきやきの話は、面白く見た。吉田戦車の「伝染るんです」の「丸焼き」を思い出した。▼夢の検閲官の話は、生煮え。
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楽しみにしていた「新・三銃士」の放送が今週月曜(2009.10.12)から始まった。アレクサンドル・デュマ(デュマ、デュマ、デュマ!)原作、三谷幸喜脚本のNHKの人形劇。オープニングのパリの裏露地の場面から、シビレタネ。「ひょうたん島」「三国志」「プリンプリン物語」といつの時代もNHKの人形劇はスバラシイよ。
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放送開始を楽しみにしていた小林薫(赤ん坊はさ、優しく焼いてあげないといけないんだよね)主演の「深夜食堂」だが、こっちでは放送されないようだ。調べてみたら、予定もない。憤慨中。
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「モンスターハンター3」、昨日とうとうエンドロールが出てしまった。ま、それで終わりはしないんだけどね。
(2009年10月15日木曜日)
今までいろいろ使ってきたなかで、ジュゲムのブログが一番使いやすい。一番使いにくいのはヤフー。次は、Lovelog(元DION、今はau)。この二つは結構ヒドイ。ズゴックみたいに扱いづらい。
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録画してそのままにしておいたNHKドラマ「気骨の判決」を観た。戦時中の人の心というものは、単純な善悪や正誤では割り切れない。劇中の主人公の言葉どおり、一筋縄ではいかない。(2009.9.23)
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電子貸本Renta!(二日で百円、一年で三百円)で手塚治虫の「サンダーマスク」を読んだ。「ロックマン」のエレキマンのモデルになったらしいというそれだけで読んだ。ストーリーそのものよりも、炭素生物と硅素生物というアイディアが面白かった。この世界に、時間という「別人」はいない、と改めて思うね。
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白鵬、本割りは強いのに、決定戦は弱いね。なぜだろう? 朝青龍はさすがだ。さすがだけど、勝ったあとの長渕剛の登場は気持ち悪かった。土俵上のガッツポーズは別に気にならなけど。来場所は、把瑠都と鶴竜の活躍に期待。大関二人の琴琴コンビはだらしないよ。あと、魁皇がんばれ! 千代大海さようなら。
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ベルギーの酪農業者たちが、牛乳の価格急落に抗議して、牛乳300万リットルを畑や道路にまき散らしたというニュース記事を読んだ。食うために、せっかく手に入れた大量の食い物(この場合は牛乳)を捨てる人間。人間という生き物の"アリカタ"は、もはや生き物のルールの外にある。未だ生き物としてしか存在し得ない人間は、だが既に、生き物としての生き方を放棄している。その点で人間は破綻している。人間は、人間以外のすべての生き物に対して、自分が生き物であることを主張できない。人間以外の全ての生き物にとって、人間はもはや生き物ではない。"人間社会"という人工物の中の部品にすぎない。人間以外の全ての生き物にとって、人間の全ての活動は、火山噴火や落雷や台風のような天災に等しい。そこに"意思"はない。空虚な物理現象。人間は、もはや、モノだ。
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大型モンスターになって、有象無象のハンターどもをけちらす「逆モンスターハンター」をやりたい。
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「世にも奇妙な物語 秋の特別編」を観た。
検索する女の話については、特に言いたいことはない。▼自殺者リサイクル法の話は、自殺者そのものにリアリティがなくてまず、興ざめする。自殺者の精神状態は、あのドラマみたいに「普通」ではない。精神がずいずいにやせ細って、あるいは削りに削り取って、針のようになってしまうからこそ自殺に踏み切ってしまうのだ。心が〈病的に〉先鋭化することで、意思が、肉体の〈ただ理由もなく生き続ける〉という強力な力を、押し返したり、無効化したりすることで、人間は初めて自殺できる。自殺の理由(きっかけ)は、失恋みたいなくだらないものだろうと、自分の不注意で原子炉を爆発させて何百万人もの人間を殺してしまった罪の意識みたいな超重量級のものだろうと、そんなのは関係ない。肝心なのは、実際に自殺に踏み切ってしまうときの、人間の心の〈やせ細り〉度合いだ。それは、自殺なんかしないで普通に生きている人間とは、まったく次元が違う、心のアリヨウだ。踏み切ったはずの自殺を安直な発想の政府の機関によって〈なかったこと〉にされた自殺者が、あんなに〈おとなしく〉している時点で、あの自殺者たちはツクリモノにしか見えない。自殺しない者たちの論理では行動しないから自殺者なのだ。あれは自殺者ではない。▼呪い殺人の裁判の話は、作り手が「呪い」というものの本質をよくわかって作っていると感じた。「呪い」とは、端的に言ってしまえば「関係妄想」にすぎない。なんの因果関係もない甲という出来事と、乙という出来事に、因果関係を妄想する、その妄想が「呪い」だ。あるいは、「呪いをかける」とは、そういうたぐいの妄想を抱かせるようにしむけること、あるいは、「呪いをかける」本人が、そう思い込むことそれ自体。本来無関係な甲と乙の間に因果関係があるかもしれないと着想(発想)するのは、人間の専売特許ではない。パブロフの犬だろうと、餌皿の前に座ってご飯を待つうちの猫だろうと、それはやっている。だが、彼らの甲と乙の間には、それを介在する人間の気付きと行動がある。うちの猫が、餌皿の前に座って、見事食事にありつけるのは、俺が、猫の気持ちを察して、餌をやるからだ。人間の「呪い」が関係妄想なのは、甲と乙の間を介在する実行者が人間の想像(妄想)にすぎない点にある。神とか悪魔とか邪悪な力とか、そういう人間同士の中でしか通用しない想像の産物が「呪い」の介在者、実行者だ。だから、人間ではない、猫や石に対して、「呪い」は、かけることはできるが、かからない。逆に言えば、だから、「呪い」は人間にとっては必ず実在するとも言える。ドラマの中での裁判員たちに起きている全ては、まぎれもない「呪い」だ。呪いの介在者はいない。だが、呪いは現実する。だた呪うのも呪われるのもいつも人間だけだということ。▼すきやきの話は、面白く見た。吉田戦車の「伝染るんです」の「丸焼き」を思い出した。▼夢の検閲官の話は、生煮え。
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楽しみにしていた「新・三銃士」の放送が今週月曜(2009.10.12)から始まった。アレクサンドル・デュマ(デュマ、デュマ、デュマ!)原作、三谷幸喜脚本のNHKの人形劇。オープニングのパリの裏露地の場面から、シビレタネ。「ひょうたん島」「三国志」「プリンプリン物語」といつの時代もNHKの人形劇はスバラシイよ。
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放送開始を楽しみにしていた小林薫(赤ん坊はさ、優しく焼いてあげないといけないんだよね)主演の「深夜食堂」だが、こっちでは放送されないようだ。調べてみたら、予定もない。憤慨中。
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「モンスターハンター3」、昨日とうとうエンドロールが出てしまった。ま、それで終わりはしないんだけどね。
(2009年10月15日木曜日)
73......
「モンスターハンター3」にカカリッキリになっていてすっかり録り溜まった「日本の話芸」をまとめて見た。柳家小三治の「馬の田楽」が涙が出るほど面白かった。枕もそうとうトボケてて面白かった。小三治をちゃんと聴いたのは初めてだけど、落語でこんなに笑ったのもひさしぶり。(2009.9.6)
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「学べるニュースショー」が終わった。大人向けの「週刊子供ニュース」をやろうとした番組コンセプトはよかった。「初代おとうさん」の解説も昔と変わらずとてもわかりやすい。だが、「生徒役」のテレビタレントはあんなに要らない。多過ぎ。出演料タダで出てるんならイザ知らず。土田とあとひとり誰かくらいでいいだろう。司会者も要らない。
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ゲオの100円レンタルキャンペーンを利用して、今回初めて「ターンAガンダム」を全話観た。傑作だ。マイッタネ。登場人物が生きて(自分で感じ考え行動して)、それで物語が(自然に)生まれ、世界が動く、という、現実の世界では当たり前のことがちゃんと起きてる。オリジナルの「ガンダム」もそこが魅力なのだが、「ターンA」は、もっと、堂々と、そういうふうになっている。こりゃあ、ちょっと、傑作だよ。終わり方もいい。完成度高いなあ。トミノ(禿頭)、侮りがたし。(2009年9月9日木曜日)
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真相はどうであれ、ピケJr.ってミットモナイ。今になって言うくらいなら、インチキやれと言われたそのときに、なぜ告発しなかったんだ? 解雇にならなかったらずっと黙ってたのか? それで、大金貰って喜んでたのか? 親父(ピケSr.)が、コスズルイ感じのヒトだったから、そのムスコもやっぱりそういう手合いなんじゃないかって、思っちゃうね。ミットモナイよ、息子も親父も。というか、やっぱり「弱い」よ、人間が。親子そろって。いったんは「悪事」に加担しておいて、その「悪事」から得られる「取り分」がないとわかると、その自分も加担した「悪事」そのものを告発する。それで自分はの方は被害者面をしてみたり、社会的に許されようとかする。もっとひどけりゃ、自分は「悪事」を白日のもとにさらした、ちょっとした悲劇の英雄気取り。そんなコスズルサ、「弱さ」が、見苦しい。人間として一番アテにできないタイプだ。そもそも、セイフティ・カーが出るようにクラッシュしろと言われてその通りにした時点でドライバーとしてというより、人間として見込みないだろう。うっかりしたら自分以外にも人死にがでるだろう。そんな理不尽な命令なんか無視して、走りきればいいんだよ。F1マシンをわざとクラッシュさせるのは、スピードを落として順位を譲るのとはわけが違う。なんだか、大学や高校の運動部のバカな伝統(新入部員を集団リンチするとか)を先輩と後輩で延々と引き継いでいく、バカな運度部員の「人間的な弱さ」と同じモノを感じる。まあ、ブリアトーレが「無罪」というのも有り得なさそうだけどね。
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民主党政権になったからと言って、そうホイホイ世の中が良くなりも変わりもしない。悪くなったり変わらなかったりすることの方が多いかもしれない。しかし、そんなことは当たり前。二流三流(何度も言うが、政治家になろうとするヤツ、官僚になろうとするヤツは、人間のデキは二流三流に決まってる。でなきゃ、あえて、あえて、二流三流に自分をおとしめているヤツだ)が雁首そろえて、おぼつかない手つきで仕事をするんだから仕方がない。あと4回くらい、政権交代をやりあえば、いろいろと変わる。まず、選挙というシステムが、「より良いほうを選ぶ」手段ではなく、「劣化したものを取り替える」手段であるということが、頭ではなく腹でわかるようになる。次に、お払い箱になった前政権の何が、どこがダメだったのかが、次にくる政権にはよく見えるので、すくなくとも、そのダメだった部分は改善されるし、出来る(そのために政権が変わったわけだから)。結果、今までよりは排水溝が詰まることが減る。三番目に、民主主義の意味を理解するようになる。どちらが「主」でどちらが「従」なのかを、ちゃんと理解できるようになる。しかし、これにはあと二、三世代かかるかもしれない。政府を「お上(おかみ)」とみなしている日本人は、老若男女を通じてまだまだものすごく多い。国会議員や大臣が、「いやいややらされる町内会長」や「来年は勘弁してほしいPTA役員」みたいになれば、日本人の政府や議員に対する「お上」意識も消えてなくなる。政府や議員は「お上」ではなく「僕(しもべ)」なのだ。そうすると、生活を良くするには、国民自身が自分たちでどうにかしなければいけないということに気づく。意思決定するのは俺たち自身で、政府や議員は、代理人や使いっ走りにすぎない。官僚? 官僚の本質は、御付きの運転手だろ?
(2009年9月20日日曜日)
「モンスターハンター3」にカカリッキリになっていてすっかり録り溜まった「日本の話芸」をまとめて見た。柳家小三治の「馬の田楽」が涙が出るほど面白かった。枕もそうとうトボケてて面白かった。小三治をちゃんと聴いたのは初めてだけど、落語でこんなに笑ったのもひさしぶり。(2009.9.6)
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「学べるニュースショー」が終わった。大人向けの「週刊子供ニュース」をやろうとした番組コンセプトはよかった。「初代おとうさん」の解説も昔と変わらずとてもわかりやすい。だが、「生徒役」のテレビタレントはあんなに要らない。多過ぎ。出演料タダで出てるんならイザ知らず。土田とあとひとり誰かくらいでいいだろう。司会者も要らない。
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ゲオの100円レンタルキャンペーンを利用して、今回初めて「ターンAガンダム」を全話観た。傑作だ。マイッタネ。登場人物が生きて(自分で感じ考え行動して)、それで物語が(自然に)生まれ、世界が動く、という、現実の世界では当たり前のことがちゃんと起きてる。オリジナルの「ガンダム」もそこが魅力なのだが、「ターンA」は、もっと、堂々と、そういうふうになっている。こりゃあ、ちょっと、傑作だよ。終わり方もいい。完成度高いなあ。トミノ(禿頭)、侮りがたし。(2009年9月9日木曜日)
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真相はどうであれ、ピケJr.ってミットモナイ。今になって言うくらいなら、インチキやれと言われたそのときに、なぜ告発しなかったんだ? 解雇にならなかったらずっと黙ってたのか? それで、大金貰って喜んでたのか? 親父(ピケSr.)が、コスズルイ感じのヒトだったから、そのムスコもやっぱりそういう手合いなんじゃないかって、思っちゃうね。ミットモナイよ、息子も親父も。というか、やっぱり「弱い」よ、人間が。親子そろって。いったんは「悪事」に加担しておいて、その「悪事」から得られる「取り分」がないとわかると、その自分も加担した「悪事」そのものを告発する。それで自分はの方は被害者面をしてみたり、社会的に許されようとかする。もっとひどけりゃ、自分は「悪事」を白日のもとにさらした、ちょっとした悲劇の英雄気取り。そんなコスズルサ、「弱さ」が、見苦しい。人間として一番アテにできないタイプだ。そもそも、セイフティ・カーが出るようにクラッシュしろと言われてその通りにした時点でドライバーとしてというより、人間として見込みないだろう。うっかりしたら自分以外にも人死にがでるだろう。そんな理不尽な命令なんか無視して、走りきればいいんだよ。F1マシンをわざとクラッシュさせるのは、スピードを落として順位を譲るのとはわけが違う。なんだか、大学や高校の運動部のバカな伝統(新入部員を集団リンチするとか)を先輩と後輩で延々と引き継いでいく、バカな運度部員の「人間的な弱さ」と同じモノを感じる。まあ、ブリアトーレが「無罪」というのも有り得なさそうだけどね。
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民主党政権になったからと言って、そうホイホイ世の中が良くなりも変わりもしない。悪くなったり変わらなかったりすることの方が多いかもしれない。しかし、そんなことは当たり前。二流三流(何度も言うが、政治家になろうとするヤツ、官僚になろうとするヤツは、人間のデキは二流三流に決まってる。でなきゃ、あえて、あえて、二流三流に自分をおとしめているヤツだ)が雁首そろえて、おぼつかない手つきで仕事をするんだから仕方がない。あと4回くらい、政権交代をやりあえば、いろいろと変わる。まず、選挙というシステムが、「より良いほうを選ぶ」手段ではなく、「劣化したものを取り替える」手段であるということが、頭ではなく腹でわかるようになる。次に、お払い箱になった前政権の何が、どこがダメだったのかが、次にくる政権にはよく見えるので、すくなくとも、そのダメだった部分は改善されるし、出来る(そのために政権が変わったわけだから)。結果、今までよりは排水溝が詰まることが減る。三番目に、民主主義の意味を理解するようになる。どちらが「主」でどちらが「従」なのかを、ちゃんと理解できるようになる。しかし、これにはあと二、三世代かかるかもしれない。政府を「お上(おかみ)」とみなしている日本人は、老若男女を通じてまだまだものすごく多い。国会議員や大臣が、「いやいややらされる町内会長」や「来年は勘弁してほしいPTA役員」みたいになれば、日本人の政府や議員に対する「お上」意識も消えてなくなる。政府や議員は「お上」ではなく「僕(しもべ)」なのだ。そうすると、生活を良くするには、国民自身が自分たちでどうにかしなければいけないということに気づく。意思決定するのは俺たち自身で、政府や議員は、代理人や使いっ走りにすぎない。官僚? 官僚の本質は、御付きの運転手だろ?
(2009年9月20日日曜日)
「外国音楽に熱狂的に踊りだし」た女性たちの方が、「結婚式で女性が踊ることは伝統に反すること。夫たちを侮辱したことになる」と語った男よりも、DJを「こてんぱん」に殴りつけた男たちよりも、その振る舞いはホンモノだ。突き詰めてしまえば、怒ってる男たちは「妬いてる」だけだ。伝統とかそんなのは「妬いてること」をごまかす言い訳にすぎないのに、自分ではその点に気づいてないからよけいにみっともないことになる。わくわくする音楽に反応して踊り狂うことに比べて、なんとも浅ましく、クダラナイ。まあ、ペットショップボーイズの曲の何がいいのか俺には全然わからないけどさ。
→「DJが袋叩きに、遊牧民の結婚式にペット・ショップ・ボーイズは禁物」
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